よくYouTubeで見かける「早起きして生産的にすごしてみた」のような「生産的」な生活をしてみたい。
丁寧な暮らしではなく、生産的な生活。
そもそも生産的ってどういうこと??
私いつもこういう言葉の意味から分からなくてすぐつまずいてしまう。
なんとなく分かるけど分からない。
Wikipedia先生曰く生産とは生活必要物資などを作り出すこと。人間が財・サービスを産み出し、採取・育成する活動。らしい。
それに「的」がつくと生産にかかわるとか、生産しているさま、有意義とか建設的とか出てくる。
有意義は価値があるという意味だし、建設的も何かを作り出すという似たような言葉。
つまりは何か価値のあるものを生み出す行動を指すんだろう。
はて。価値のあるものか。
そんなもの野菜や肉を料理して食事を作る以外一体何があるんだろう。
このブログ記事だって生産性があるのかと言われれば、ないだろう。
だって今現在どこにもリンクが繋がっていない電子の海の孤島だし。いづれどこかに繋がる予定ではあるけど、アフィリエイトで収益を得られるような内容でもない。
仕事をしている時は生産的なんだろう。そうでないとこの資本主義社会では生き残れない。
私が仕事をすることで雇用主は利益を得てその一部が私の給料になる。仕事はとても生産的。
でもそれ以外で、普段の生活のなかでできる生産的な行動とは一体何なんだろう。
生産的に行動するためにこれが必要という記事は検索すればたくさん出てくるけれど、そもそも仕事以外での生産的な行動ってなんだ。
本を読むこと?勉強?
いづれ生産につながるのかもしれないけれど、なんだかすっきりしない。
いや分かる。きっと読書も勉強も生産的な行動に分類される。けれど、それが生産につながるかはその後の行動しだいだし、その目的をもっている人だけがこの行動を生産的な行動と言えるんだろう。
あぁ、私には無理だ。
読書は好きだ。
資格勉強も大変だけど合格したら嬉しいし嫌いではない。
でも生産的ではない。だって何にもつながっていない。
生きていたら、きっとそのうち何かに繋がることがあるだろう。ただそれだけだ。
ここはあれだ。栽培しかない。野菜を作るんだ。
収穫できればそれは自分の食事になるし、そも生産の言葉の説明の中に採取とあるではないか。
でもプランター栽培って難しいのよね。
なんだかんだ地植えが最強。室内の観葉植物も外に出して地植えにした途端驚くほど成長する。
実家では朝顔を地植えしているけど、根本が太くて木みたいで私の知ってるひょろひょろ細くて頼りない朝顔と違いすぎてびっくりする。
お前ほんとはそんな姿だったんだな。と感動する。
生産的っていいことなんだろうか。
そんなことすら思ってしまう。
何もせず、河原で横になって転がっていたい。野っぱらで大の字になって天を仰ぎたい。
かすみを食べて生きていたい。
食事すら面倒だなんて。生きるってなんて億劫なんだろう。